6年前、学生の時、神戸から船に乗って天津・北京を友人と2人でバックパッキングしました。それが海外に毎年行くことになる最初の旅行でした。北京はそれ以来です。今回は北京の清華大学に語学留学しているその友人を訪ね、ウィークエンドを北京で過ごし、大学のあるウィークデイに一人で東北地方(=旧満州)の日本軍の跡を見て回りました。

9月17日 成田 PK881(パキスタン航空) → 北京 北京泊(清華園賓館)
 パキスタン航空ということで機内食を期待していが、普通。ただ、何人かのパキスタン人(だと思われる人)は別の料理を受け取っていた。多分、ベジタリアンか豚肉無しの料理でしょう。特に違うことと言えば、離陸前にアラーへのお祈りが流れたことぐらい。夕方北京着。外は16℃とのアナウンス。出てみるとかなり寒い。北京空港は首都空港にしてはずいぶんと小さくみすぼらしい(現在、新しいターミナルを建設中)。友人の案内で市内へ。バスから見える町並みは前回とはかなり違うところが多いながらも、なんとなく同じような雰囲気が残っていた。気になったのはマクドナルドの多さ。前回は1号店ができて話題になっているような時期でしたが、今回は大きな交差点ごとにあるような状態だった。ここまで、来たか、という感じ。バスを降りると、中国料理の油の匂いがぷーんとしてきた。
 清華大学近くの五道口のホテル泊。ホテルのサービスは格段に良くなった。追い返されず、怒られず、難なく泊まることができた。今回の旅行でホテルで追い返されたのはハルビンで一回だけ。

9月18日 清華大学 → 中環村 → 雍和宮・胡同 → 王府井 → 新華書店  この日は食い倒れ。
1 ホテルでバイキングの朝食。スープにまた香菜(シャンツァイ・コリアンダー・パクチー)が・・・、これの香りだけは苦手で、未だに食べられない。
2 大学内の食堂で包子を2,3個。同じような店が並んでいる何の変哲もない店の中から留学している友人お勧めの店に。
3 留学生食堂で昼食。炒め物などのおかずを10種類ぐらいのなかから選んで3品とご飯。殺風景な食堂を予想していたら、テーブルクロスの掛っているような結構立派な食堂だった。
4 3時ごろ街の中で見つけた小吃店。客は入っているのに、あんまりおいしくない・・・。
5 王府井の屋台で中国各地の料理。シシカバブなどなど。
6 ホテル近くの四川料理屋。入ったときに唐辛子の香りが鼻と目にツーンとくる感じが何とも言えない。ビールは燕京ビール、日本のビールより薄いので苦みが苦手な私でも飲みやすいビール。
清華大学・・・大学内は普通の町のようで、郵便局もレストランもある。幼稚園もあるが、日本の幼稚園と変わらないくらい立派だった。大学教授の子ども達が通うのでしょう。
中環村・・・北京の秋葉原のようなところのはずだったが、再開発のためかかなりの店が取り壊されて更地になっていた。ホテルのある五道口も同じで、友人が夏休みの1ヶ月の間に一気に取り壊されたようだ。せっかくのガイドも速さに驚いていた。この早さを見ていると、経済危機など関係がないように思える。
胡同・・・北海公園の近くの住宅地の中を散歩。年配の人で「保衛」「保安」と書かれた腕章をつけている人が多くいた。建国50周年の国慶節のためのようだった。大きめの路地を歩く。小さな路地に入るのはちょっと抵抗がある。住宅地の中で小さな市場を見つけ、そこで探していた粉唐辛子を買った。今年の冬にキムチを作るため(去年は発酵せずに失敗したので、今年は何とか)。

9月19日 スーパー → 清華大学 → 北京站 → 汽車中泊
スーパーへ。人がいっぱいで動くのが大変なくらい。物も種類も豊富。
昼食は大学の中で朝鮮料理。犬の肉のスープを食べてみたが、安い牛肉を煮込んだような感じでどうということはなかった。ちょっと臭みがある。
北京駅は前回とは全然違った。清潔さのレベルでいうと、前回は荷物を下に置くのに抵抗があるくらいだったが、今回は座り込んでもいいかな、という感じ。待合室が整備され、右往左往することなく、整然と汽車に乗れた。
 夕方北京出発、老夫婦が向かい側のベッド。話し掛けられるが良く分からない。書いてもらう。読むのはいいが、やはり聞く力がない。

9月20日 → ハルビン着 → ホテル → 中央大街
朝9時ハルビン着。寒い。セーターを着ていたが、それでも寒い。昼間でこの寒さでは、着るものを何か買わなければならないかもしれない。こんなに寒いところにまで日本軍は侵略しに来たのかと改めて思う。駅前をうろついてから、ホテルにチェックイン。
 午後、街に出る。ロシア風の建物が残っている中央大街で、餃子を食べる。〇〇餃子大王という名前のお店があちこちにある。ちょっと大きな店だとレジスターが普及していて、レシートをくれる。
 7時ごろ駅前の地下商店街はすでに閉まっていた。
 寒くて夜は出歩く気がしない。

9月21日 平房 → 太陽島公園 → ハルビン発 → バス中泊
普通の路線バスで郊外の平房へ。侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館はバス停の前ですぐに分かった。展示品は人体実験を再現した人形・日本軍が撮った写真・実験器具など。たいした展示ではなかった。撤退時に証拠隠滅のために全部燃やしてしまったので、そうなるのかもしれない。だとすれば、証拠隠滅は大成功ではないか。『悪魔の飽食』を読んでこなかったら、何が何だか分からないで終わっていたと思う。
 ここは南京や廬溝橋に比べると来る日本人は少ないそうだ。確かに、展示品がこの程度で、しかも郊外にあるから、そうなってしまうのかもしれない。
 後から小学生か中学生が集団で見学に来ました。ちょうど、9.18(柳条湖)と国慶節(建国記念日)の間ということもあったのでしょう。
 午後から太陽灯公園を散歩。帰りにロープウェイに乗ったが、何も言わなかったら「外賓」料金を取られなかった。前回は立っているだけで、日本人であることが分かったのに、今回は中国人(南方からきた北京語のできない中国人?)と間違えられて、中国語で捲し立てられることが多い。しかも、南の方と違って普通語(共通語)と東北方言が未分化であるらしく、雲南や広州に行ったときよりも分かりづらい。着ているもの質も良くなったし、若い人は茶髪もいれば、厚底の靴を履いている人もいる。見かけだけでは日本人かどうかは分からなくなった。
 寒さのあまり出発を早めて夜行バスで、沈(瀋)陽に向かう。6時出発予定が、予測通り遅れて8時出発。道路があまり良くないらしく、かなり激しくゆれたが、意外と熟睡できた。

9月22日 → 沈陽着 沈陽発 → 撫順着 平頂山 撫順発 → 沈陽着 沈陽泊(東北飯店)
 6時沈陽着。駅でトイレを探していると、切符売場に入ってしまった。そこには何と切符の残りを表示する電光掲示板が!前回切符を買うには、列ができない窓口の前で、先を争って申込書を窓口に差し出し、無愛想な駅員に怒鳴られながら買わなければならなかったのに。
 ミニバスで撫順へ。平頂山に行くための路線バスを探すが、見つからない。サンザシの実の飴を買ってその人に聞いてやっと見つかる。駅から離れたところにあり、見つかりにくい。バス停で降りたのはいいけど、今度は平頂山惨案遺址が見つからない。撫順市博物館しかないと思ったら、その中にあった。非常に分かりにくい。遺址には屋根がかけられて、発掘された多数の人骨がそのままの状態になっていた。頭蓋骨に穴が空いていたり、子どもを抱いていたり・・・。それしかないのだが、それで充分、何が起こったのか、何をしたのかが分かる。
 管理人のおじさんに呼び止められて話をする。日本人は良く来るのかと聞くと、たくさん来るとのこと。1年間に2000人だそうだ。多いか?少ないか?聞き取れないとすぐに紙に書いてくれた、日本人の相手に慣れている。
 石炭の露天掘をしている西露天砿に着いたが、霧がかかっていて手前半分くらいしか見えない。のんびり行く炭坑列車を見ているとラピュタを思い出すが、あれほどのスケールではない(それでも、かなりのものだが)。鼻の中が黒くなった。
 沈陽に戻って、ホテルにチェックイン。夕食は「晩茶」(夜の飲茶)。そこだけ、香港のようだった。

9月23日 九・一八記念館 沈陽故宮 大原街
 バスで九・一八事変博物館へ。小学生が集団で見学。その合間を縫って見た。低学年では説明を聞いているのは半分くらい、後は好き勝手な方を見ていた。どこの子どもも変わらない。そうだとしても、日本での教え方とは雲泥の差。説明を聞いていると、“Reben”(日本)の発音だけが何度も良く聞き取れた。
 展示は開戦前から終戦、そして最近まで、かなり詳しいものだった。侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館と平頂山惨案遺址と同じようにパネルでの説明は日本語と中国語(さらに英語も)で、他に模型や人形・写真などいろいろあった。大規模な虐殺は平頂山が飛び抜けているのかと思っていたら、幾つかの1000人規模の虐殺の展示があったが、聞いたことのない場所の虐殺だった。
 日本語の説明は中国語の直訳でちょっと不自然。内容は「白色テロ」などという言葉も出てくるような、いかにも中国。最後が、中国の愛国主義と強国を作ろうで終わってしまっていた。
 夕方、太原街(繁華街)を歩く。

9月24日 北陵公園 → 沈陽発 バス中泊
「快餐」(カフェテリア方式の中華のファストフード)で朝食。バスターミナルで北京行きの夜行バスの時間を確認してから、北陵公園へ。乗ってみたら行き先は合っていたものの、かなり遠回りをするバスで、時間がなくなってしまい、足早に公園を見てすぐに戻ってきた。バスが便利なのは旅行者にとってもありがたいが、地図を見てもどの路線がどこを走っているか分からないほどにいろいろな路線があるので、たまにはこんなことになってしまう。
 北京行きのバスに乗るときまた中国人に間違われて、パスポートではなく身分証明書(←知らない単語だったので、しばらく戸惑った)を見せろといわれた。珍しく時間通り出発したと思ったら、郊外の田んぼの真ん中に止まって、横付けしたトラックからでかい荷物を載せ始めた。予定通り遅れて出発。
 道路脇の食堂で休憩・食事。田舎の食堂なのに結構おいしい炒め物だった。ふと見上げると満月。月餅をどこででも売っていたので、帰りにお土産にしようと思っていたのに、もしかしたら、なくなってしまうかもしれない。

9月25日 → 北京着 → 清華園賓館 → イワ園 → 
 北京に着いて、タクシーで友人と待ち合わせをしているホテルへ。乗る前に白タクだと気づいたが、疲れていてもうどうでもいいやという気分になってしまい、多少ぼられた。
 ちょうど友人と前日北京に着いた友人の同僚がホテルから出てくるところだった。荷物を置いて観光へ。
 夜、タクシーで出かける。途中で大きな山車を見た。国慶節のために天安門広場まで引っ張っていくそうだ。王府井に先週行った屋台を食べに行ったら、跡形もなく、なくなっていた。こちらも国慶節のために期間中だけお休みということだった。町のあちこちで掃除をしているし、ハルビンの地下街も10月1日オープン予定だった。駅で座り込んでいる人がいなかったのも、国慶節のせいだったのだろう。すべてが50周年の国慶節に向かっているようだ。
 その後、京劇を見に、前門へ。京劇は観光客向けで、筋(多分、西遊記の最初の方の話)も分かりやすかった。我々にはこれくらいがちょうどよかった。

9月26日 万里の長城
 万里の長城を見るポイントはいくつかあり、前回の慕田峡に続き、司馬台長城というところに行った。八達嶺という最も有名なところには行ったことがないが、山の険しさ、風景の良さではマイナーなほうがいいらしい。
 司馬台は平原とか丘陵ではなく、山の上を長城が這っているようで、慕田峡よりも眺めが良かった(ただし、北京からの距離は八達嶺の倍以上)。

9月27日 北京発 PK880 → 成田着
 朝5時、タクシーで空港へ向かう。まだ真っ暗で、車もほとんど走っていない。新しい空港に着いたが、開いていない。掃除をしている若い職員に聞いてみると6時に開くとのこと。ところが、6時を過ぎても開く気配もなく、中に人気もない。どうやら、古いほうから出発するようだと気づく。「6日」の聞き取り違いだったのだろうか?
 電話が通じなくてリコンファームしていなかったが、無事乗ることができた。

飛行機の中で気持ちが悪くなり、そのまま風邪をひいてしまった。26日に頑張りすぎたので、そうなることは予想していた。しかし、その風邪が半月程度も治らなくなるとは思いもよらなかった。肝炎か何か他の感染症にかかったかと思ったほどだった。

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